赤沢保育園は、明治23年(1890年)に赤沢鍾美(あつとみ)が日本で初めて幼児達を預かり、保育を始めた歴史のある保育園です。
赤沢保育園は赤沢鍾美(あつとみ)の「静修(せいしゅう)学校」託児所として始まりました。
当時の一般民衆の暮らしぶりの大半は貧しく、通学どころかその日の暮らしに必死で、義務教育年齢に達しても入通学できるのはわずか5人に1人と、2割程度でした。入学出来ない子どもは、任意に読み書きやそろばんを教える個人教師や塾に通って学力を得ていました。小学校の臨時教員だった鍾美は、勤務時間が終わると自宅で多くの若者を生徒にしていたそうです。
鍾美は私塾を「静修学校」と命名し、その私塾に通う生徒たちが幼い弟妹や奉公先(勤務先)の赤ん坊を背負ったまま受講するものが多かったため、鍾美の妻ナカや家族がその幼児たちを一室にまとめて面倒をみたことが、保育事業の先駆けとなりました。
現在も新潟市中央区にある赤沢保育園は、長い歴史を活かし教育学習にも力を入れながら、健やかな子どもを育む保育園として市民に親しまれてます。