移住者名 | 真保 元成(しんぼ もとしげ)さん |
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移住年月 | 2016年6月 |
年 代 | 30代~40代 |
家族構成 | 妻、長男 |
職 業 | イタリア料理 armonia店主 |
新潟に移住する前は神奈川に住んでいて、妻とふたりでイタリア料理店をやっていました。当時から田舎に移住したいと考えていたこともあり、2015年の秋にその店を閉めました。そして、どこに移り住むかを決めるために、妻と長男の3人で3カ月ほど車で1県1県を移動し、キャンプや車中泊をしながら西日本を中心に巡ったんです。いろいろな土地を訪れた中で、福岡がいいなと思い本格的に移住を検討していました。そんな中、2016年の4月に熊本地震が起こったんです。福岡にも被害が出ていたので、家族で話し合い移住を諦めました。それで、今一度自分たちのこれからを考えた時、私の出身地である新潟県もいいなと思ったんです。西日本を中心にいろんな県に行きましたが、料理人という自分の仕事に欠かせない食材という面について考えると、新潟にはいい食材がたくさんある。そうしているうちに、新潟の食材を使ってお店をやってみたいという気持ちが湧いてきました。隣の三条市には私の実家もありますし、正直なところまったく未知の土地で一からお店をやるというのは、大きなリスクがあることなので、そこを熟考したうえで新潟市に移住しました。
自分のレストランでは、無農薬野菜をはじめとしたオーガニック食材を主に使った料理を出したいと思っていたので、移住先を探して西日本を旅していた時も、その土地の食材が集まる市場や道の駅などで食材を調達していました。それを経て、改めて新潟の食材のうまさ、レベルの高さに気づけたのは大きなきっかけになりました。また、新潟に戻ることを決めてからは、生まれ故郷の三条市ではなく、新潟市の昔からの繁華街・古町(ふるまち)で自分の店を持ちたいという気持ちになりました。専門学生時代に過ごした経験がありますが、当時と違い、今は活気がないと感じるし、だからこそ自分は「食」の面から古町の活性化に貢献したいと思ったからなのです。確かに「古町には人がいない」って言われがちですが、飲食店に関して言えば、個性的でいいお店が多いし、そういうお店は扉を開ければいつも賑わっている。そんな場所で昔ながらの古民家を利用した、料理とお酒も楽しんでもらえる店をやりたいと思えたのです。
私は専門学生以来の新潟市でしたし、妻は横浜出身なので、共にほとんど友達や知り合いがいない状況でした。ですが、新潟市に住み始めて、ここで出会う人たちのあたたかさと優しさが、何より一番よかったことです。私や妻がさまざまな場面で出会う新潟の方々が仕事の心配をしてくれたり、イベント出店に誘ってくれたりしました。そして、周囲の方からの紹介で新潟市内をが運行するレストランバス※のシェフを務めさせてもらえたのは、とてもよい経験でした。それがきっかけになり、新たな出会いが多くありましたし、それが今にもつながっています。また、私はオフの日にサーフィンをするんですが、神奈川に比べ人が少ないので、サーフィンをする環境としても心地いいです。神奈川の海では、ひとつの波に10人くらいが乗っていましたから(笑)。
苦労した点は冬の天気が悪いことくらいですね。それは新潟で生まれ育った私よりも、妻の方が苦労しています。特に冬は雨や雪の日が多いので、初めての冬は気分がすぐれず、少し体調を崩したこともありました。
※1階がキッチン、2階が客席という構造の日本初の2階建て観光バス。観光地や農産物の生産地をバスで巡りながら、オープントップの2階席で食事を楽しむことができる。
以前、県外から新潟市への移住を考えていて、新潟市へ見学に来られた方たちとお会いする機会がありました。私自身もそうでしたが、みなさんとても不安そうでしたし、それは当然だと思います。けれど、新潟には外から来た人をあたたかく迎えてくれる人たちが必ずいます! 新潟市役所が中心となり、移住に関する相談会も行っていますし、移住した人たちが友達や知り合いを増やして楽しく暮らせるようにサポートしてくれる新潟市移住者応援有志の会(ミチシルベ)もあります。私たちのように、ほとんど知り合いがいない状況からでも、心配することはありません。
そして、新潟の食材のおいしさは本当に自慢なので、食の面でも安心かつとても豊かに暮らせる場所です。私のお店には“新潟食実験レストラン”という題名を付けています。県産のよい食材を使った料理を提供して全国に新潟の食をPRしていきたいと思っていますし、移住経験者として、アドバイスできるところもあると思います。いつでも気軽にお越しください。