新潟市 移住・定住 情報サイト HAPPYターン.

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移住経験インタビュー

「当たり前の毎日こそが幸せ」。それを教えてくれたのが新潟

移住者名 峯 俊介さん(みねしゅんすけ)さん
移住年月 2020年12月
年  代 30代~40代
家族構成 妻、長男
職  業 会社員(フラー株式会社)

 

新潟へ移住するまでの経緯・概要

鹿児島県で生まれ大学卒業までの間を過ごしました。大学では海洋に関する分野を学び、その後、東京大学の大学院に進学し学びを深めました。卒業するタイミングで新潟市にある日本海区水産研究所の研究員募集があり採用されました。新潟市で暮らし、データ分析を専門にする研究員として2年ほど働いていた時に妻と出会い、結婚することを決めました。その後、キャリアアップのため転職し、一度新潟から千葉に引越しました。都内のIT企業でデータサイエンティストとして働いていましたが、2020年の春になり、新型コロナウイルスの感染が拡大。ちょうどその頃に妻が第二子を妊娠したこともあり、人口の多い首都圏での暮らしに少し不安を感じるようになりました。そんな時にフラー株式会社が千葉と新潟の2拠点で事業を行い、急成長をしていることを知りました。妻が新潟出身だったことや、人口の多い場所でのコロナ禍のリスク、この会社なら自分自身のキャリアを活かせるという面から考えてフラー株式会社の新潟本社で働けたらと思い、転職活動をしました。ありがたいことに採用していただき、2020年の12月に家族で新潟市に移住。今は新潟本社で勤務しています。

新潟へ移住したきっかけ

最初に新潟で暮らすようになったきっかけは、本当に偶然で研究員としての配属先が新潟県であったためです。それまでは雪や日本酒のイメージはありましたが、正直なところ「まあ1、2年我慢するか」という気持ちでした(笑)。ですが、2年間の新潟暮らしを経て、千葉に住み都内で働く毎日のなかで、改めて新潟のよさを痛感しました。居心地のよい空気感、仕事も子育てもしやすい落ち着いた環境、人のあたたかさがあります。妻の故郷というのは移住の大きな理由のひとつではありますが、同じくらい、ここで暮らしたいと思う要素が非常に多いと感じたのです。
そして、フラー株式会社の存在も、移住の大きなきっかけだったことは間違いありません。アプリ開発やデータ分析でIT業界をリードする企業であり、自身のデータサイエンティストとしてのキャリアを活かせる企業があったのは非常に大きなことでした。就職での新潟暮らしが、妻と出会ったことで大切な場所になり、そして私にとっての運命であったように感じています。

 

新潟へ移住してよかったこと・苦労したこと

水がきれいで食べ物は何でもおいしいという、ベタな答えになってしまうのですが、やはりそこは良い点だと感じます。特に私も妻も中学1年の長男もラーメンが大好きなのですが、おいしいラーメン店がたくさんあるのは幸せです(笑)。特にお気に入りは東横の味噌ラーメンです。地元の鹿児島にはない味ですし、初めて食べた時はしょっぱさに驚きましたが、今ではすっかりファンになってしまいました。休日は家族でラーメンを食べに行ったり、信濃川沿いを散歩したり、万代シテイで買い物をするなどして過ごすことが多いです。やすらぎ堤やスポーツ公園など、緑がきれいな場所にもすぐに行けるし、逆にいろんなお店がある万代シテイのようなエリアにも近い。これは新潟市で暮らす大きな魅力のひとつだと思います。
仕事では、新潟のIT企業として地元の企業から日本を代表する大手クライアント、そして地方自治体に貢献する仕事が増えていることにやりがいを感じますし、地方を盛り上げる一端を担えていることはうれしく思います。また、働く側として、フラー株式会社はとても働きやすく、レベルも非常に高くて自己成長に向く環境です。また、フレックス制なので自分の時間で仕事ができますし、その分妻と家事を分担したりできるのもありがたいです。

 

新潟へ移住を検討している方へのメッセージ

シンプルですが自然がそばにあって、人があたたかくて、食べものがおいしい――。人として心豊かに暮らせる素地が新潟市にはすでにあります。私たち家族は昨年新潟に移住し、その後次男が生まれました。しかし、生まれつき重い心臓の難病を患い、生後2カ月で亡くなりました。人生でこの上ない、とてつもなく辛い経験でした。しかし、コロナ禍の状況で、もし新潟ではなく千葉や東京で出産していたら、受け入れてくれる病院さえ見つからなかった可能性もあり、2カ月間の人生で最も素敵な期間にすら出会えなかったかも知れません。新潟の病院では、医師や看護師の皆さんが全力で次男の命を繋ぐため、懸命に治療に徹してくださり、感謝するばかりでした。この経験で、新潟市のもしもの時の医療機関・体制の充実ぶりを知ることができ、私たち家族に携わってくださった新潟の方たちのあたたかさやありがたさを感じることもできました。今は、家族みんなで食事をしたり、長男とキャッチボールをしたり。当たり前の日常を過ごせることが、最も幸せなことであると感じるようになりました。そして、まさにそれを教えてくれたのが新潟です。これからは新潟という新しい舞台で、家族みんなで楽しく仲良く、これからの日々に感謝しながら幸せいっぱい歩んでいきたいです。そして、いつか新潟という地に恩返しをしたい。そう思っています。

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