移住者名 | 宮本 浩朗(みやもと ひろあき)さん |
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移住年月 | 2013年2月 |
年 代 | 50代~60代 |
家族構成 | 単身 |
職 業 | 岩室温泉地域づくり協議会 事務局長 |
生まれは横浜で、大学卒業後はずっと東京で働いていました。2011年にそれまで31年間勤めていた全農全国本部を退職し、次の人生を送る場所として、単身北海道に移り住んだのです。帯広市に近い浦幌町の町営牧場で働き、憧れていた田舎暮らしと農業の現場での仕事を手に入れました。しかし、都会で育ち、長くサラリーマン生活をしていた私にとって、牧草を育てながら365日牛たちの面倒を見るという酪農の仕事は想像以上に過酷なものでした。半年ほどは頑張りましたが、肉体的にも限界を感じました。牧場長と相談した結果、現場からは外れることになりましたが、それまでの自分のキャリアを活かすことのできる補助金申請や銀行からの資金調達手続きなど、事務方として牧場での仕事を続けることになったのです。結局、またデスクワークになりましたが(笑)、その後2年ほど牧場で仕事を続け、新規事業を2つ立ち上げました。そんな時、全農で働いていた頃に知り合った新潟市の農業法人から「新潟に来て、手伝ってくれないか」というオファーを受けたのです。牧場での仕事もいい形で貢献ができたタイミングでもあったので、2013年の冬に北海道から新潟市に移り住みました。
全農全国本部職員として働くなかで、45歳になった頃「あと10年。自分が55歳になったら今の仕事を辞めよう」と気持ちを固めていました。理由は日本の農業の一端を担う組織で働いていながら、私自身が農業の現場に立ったことがなかったからでした。だからこそ、以降の人生は自分の手で土を触って、農業の現場で仕事をしながら過ごしたいと思うようになったのです。とは言え、40代の頃は3人の子どもたちを育てていかなくてはならない時期でもあったので、子供たちが自立する年を考えながら、10年計画で50代半ばからの人生設計をしていました。
前述の通り、新潟市で暮らすようになったのは、来てほしいと声をかけられたことが大きな理由ですが、生まれが横浜の私にとって、新幹線や高速道路があり首都圏とのアクセスが非常によいというのも決め手の一つでした。事実、新潟市で暮らすようになってからは、都内の友人たちがたくさん遊びに来てくれるようになりました。さすがに北海道では気軽に「遊びに来いよ!」とは言えませんでしたけど(笑)、新潟であれば誘う側も来る側もずいぶん気楽です。
農業法人での仕事を経て、その後、岩室の観光施設「いわむろや」の小倉館長との出会いをきっかけに、「岩室温泉地域づくり協議会」を2017年4月に設立し、今は事務局長として地域の農業や観光の新たな事業創設等に取り組んでいます。何より嬉しいのは都内の友人たちが遊びに来て、米作りなどを体験して心の底から楽しんでくれることです。耕作放棄地を借りて米作りをし、田植えや稲刈りの時期になると都内に住む友人たちが来て共に汗を流し、収穫したお米や地元で採れた野菜を食べる――次第に手伝ってくれる周りの農家さんと私の友人たちの間にコミュニケーションが生まれるんです。「新潟に遊びに来て本物の農家さんと話ができるなんて思ってもいなかったよ!」と嬉しそうに話す友人の言葉を聞けたことは、よかったことです。
反面、非常に苦労したのは家探しでした。新潟市に限ったことではないですが、農村地域にはどうしても元来、外から来た人をすぐには受け入れてくれない風潮があります。なので、私のように県外から来た人がいざ「貸してください」とお願いしても、「知らない人には貸さない」とか「代々続く家財道具はそのままにしたいから」と断られ、住む家がなかなか決まらなかったのはとても辛かったです。
人生の後半を、地方でゆったりと過ごしたいのであれば、退職1年前から考え出しても遅いので、中・長期的に考えることをおすすめします。実際に遊びに来たり、SNSを通じて私の生活を見たりした都内の同世代の友人・知人のなかには、自分も新潟で暮らしてみようかと言う人もいます。そして、私に「新潟に住んだら、自分は何の仕事をすればいい?」と聞いてくる人も多いのです。そこで私が言うのは、仕事は自分で創るのが大前提ということです。私もそうでしたが、都内でサラリーマン生活を送っていた人にとって、それまでは当たり前に仕事が与えられていたわけです。けれど、移住して農村地域に来たら、必ずしも仕事があるとは限らない。その地域にとって自分がどのように役立てるかという観点から考えれば、おのずと仕事は生まれると思います。働き口が無いから移住に踏み切れないというのはサラリーマン的発想なので、むしろ移住した場所でのコミュニケーションと人間関係づくりから始めて、そこから次第に仕事になりそうなアイディアが広がっていけば、輝きながら地方で暮らすアクティブシニアがもっと増えると思うんです。なので、5年、10年先のビジョンを頭の中で描き、準備をすることが大切です。