移住者名 | 藤森 裕(ふじもり ゆたか)さん |
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移住年月 | 2018年9月 |
年 代 | 10代~20代 |
家族構成 | 単身 |
職 業 | 会社員 |
私の出身は新潟県長岡市です。高校までを県内で過ごし、大学進学を機に、地元を離れて東京で暮らしました。走ることが好きだった私は中学から陸上を始めて、高校、大学では駅伝部に所属し、大学1、2年次は選手として走っていました。3年生になり選手としては引退をしたのですが、主務という形で駅伝部を支えました。3、4年生の時には箱根駅伝に出場することができ、私は運営管理車に乗り、選手たちのサポート役を務めました。部活一色の学生生活を終え大学を卒業した私は、駅伝部の監督の勧めもあり、都内で食品メーカーの事務として社会人としてのスタートを切りました。その後、転職をして外食チェーンの会社で人事などの事務の仕事をしました。東京で6年ほど社会人として働き、生活をしていましたが、大学入学から数えてちょうど10年が経ったタイミングで、地元の新潟に戻ることを選択したのです。
2018年になり、東京での生活も10年が経ちました。30歳を前にして、ふと自分自身の中でこれからの長い人生をどのように過ごすかを考え、その場所として東京と新潟を比べた時に、気持ちが傾いたのが新潟だったというのが正直なところです。東京という場所は常に刺激的で楽しい場所だし、あらゆるものが最先端です。けれど、これから自分が結婚をして、家庭を持って、子どもを育てるという人生を想像した時――すぐに「新潟」という答えが自分の中から出ました。加えて両親や姉、妹が地元の長岡で暮らしていることもあり、家族の近くにいたいという思いもありました。たまに帰省した時に、私の両親と姉の子どもたちが楽しく遊んでいる様子を見ると「これが親孝行のひとつなんだな」と思うこともありました。
自分の気持ちが新潟に傾いてからは、一気に戻りたいという気持ちが強くなって、すぐに気になった長岡の企業に求人がないか問い合わせをしました。その会社には求人がなかったのですが、それをきっかけに積極的に新潟での仕事探しを始めました。結果、縁があって現在勤めている新潟市の会社と出会うことができたのです。
Uターンする上で、生活の場所は長岡でもよかったし、新潟市にも住んでみたいと考えていました。内定をいただいた会社が新潟市だったので、2018年の9月から新潟市で生活を始めました。住んでみての感想は「すべてがちょうどいい」でした。古町に近い場所に住んでいるので、移動手段は自転車です。通勤や普段の買い物であれば、自転車で十分ですし移動の不便さは感じません。気候や街の規模――少し歩けば海まで行けますし、自然との近さなどを含めて、すべての面で私にとってすごく快適な暮らしができる街です。そこで思ったのは、確かに東京の方があらゆるモノ・コト・場所が多くありますけど、自分の暮らしをあてはめてみた時、必要なものは新潟にもちゃんとあるということでした。改めて戻ってきてよかったですし、新潟市は私にちょうどいい街だと実感しています。
私はお酒を飲むのが好きなので、週末は飲みに行くことも多いのですが、特に古町は本当にいい居酒屋が多くあるのも嬉しいことです。東京とは比較にならない安さで、友達や彼女とおいしいお酒と大好きなお刺身を味わう時間は何よりの幸せです(笑)。
移住を考えた時、まず最初に頭に浮かぶのが仕事だと思います。私の場合、大手の転職サイトを使わずに、「新潟県UIターンコンシェルジュ」や、東京の表参道にあるネスパス新潟館内の「にいがたUターン情報センター」を活用しました。新潟県に特化した企業情報や、UIターン就職に関する情報やアドバイスをいただくことができたので本当に助かりました。定期的に新潟県への移住相談会などもありますし、移住を考えている方は足を運んだほうがよいと思います。また、新潟市が運営している、移住・定住情報サイト「HAPPYターン」(当サイト)も、移住イベントや新潟暮らしに関する情報が充実していて参考になりましたし、これらを活用したからこそ、スムーズにUターンできたと思っています。
移住には、人それぞれでさまざまな外的な要因も関係してきますが、何より「自分がどうしたいか?」が大事だと身をもって感じました。なので、自分の気持ちとしっかり向き合ってみて、その上で暮らしの場所を変えたいという答えが出たなら、動くべきですし、迷いがあるようならその時が来るまで待つべきだと思います。なので、自分の気持ちに正直になることが私からのアドバイスです!