新潟市 移住・定住 情報サイト HAPPYターン.

新潟市 移住・定住 情報サイト HAPPYターン

新潟市 移住・定住 情報サイト HAPPYターン.

移住経験インタビュー

風間さん「東京は遊ぶ場所、新潟は暮らす場所」

移住者名 風間 史衣(かざま ふみえ)さん
移住年月 2017年3月
年  代 10代~20代
家族構成
職  業 会社員

移住までの経緯・概要

高校卒業まで新潟市で暮らし、大学進学のため上京。東京都にある他大学と共同の学生寮で暮らし始めました。一緒に暮らしていたのは、30人ほどの国際色豊かな寮生たち。同じ大学の人もいれば、違う大学に通う人もいました。寮で知り合った人の中には今でも頻繁に会う友人もいます。食堂に行けば誰かに会える生活は本当に楽しく、かけがえのない時間でした。その後、大学3年生になり就職活動を開始しました。私は大学進学をするときに「新潟で就職しよう」と考えていたので、新潟での就職活動の情報を探し始めました。しかし、大学のキャリアセンターには新潟の情報はほとんどありませんでした。大学には新潟出身の先輩たちもいましたが、新卒の段階ではほぼ東京で就職していて地元での就職活動の方法すら分かりません。結果、親が新潟で開催される企業の合同説明会を新聞広告で見つけて教えてくれるなど、情報収集に苦労した覚えがあります。それを経て新潟での就職活動が始まり、無事に今の会社から内定をいただくことができました。現在は実家で母と暮らしながら、建設会社の事務職として勤務しています。

きっかけ

元々、大学進学の段階から新潟に戻ってくることを想定していました。大学生活のなかで、一時東京に残ろうかと思ったこともありましたが、日々の暮らしの大変さを身をもって痛感していたので、やっぱり新潟に戻りたいと思うようになりました。その筆頭は、満員電車。当時、住んでいた寮から大学までは電車で15分程度でしたが、その短い時間でも大変でした。しかも、私が利用していたのは地下鉄。外の景色が見えないことに圧迫感を感じていました。同時に「東京は遊ぶ場所にしておきたい」という思いもありました。東京だと歩くことが多いので、よく歩道に目がいきます。しかし、そこにはコンクリートしかなく、土や草木はほとんど見えません。新潟で自然と目に触れていたものが東京では日常生活の中ではなかなか出会えない。あったとしても、それは公園などの人の手によって作られた自然で、そこに違和感を覚えていました。こうした毎日感じる大変さや大都市への違和感から、東京を日常生活のベースにはせずに遊ぶ場所として捉えておきたいと考え、Uターンして新潟で暮らすことを決めました。

よかったこと・苦労したこと

新潟に戻ってからは、高校までの同級生と頻繁に会えるようになりました。私の趣味のひとつが山登りなのですが、高校時代は登山部に所属し、大学生の時も埼玉県の秩父や山梨県内の山を登るなど山登りはずっと続けて来ました。新潟に帰ってきてからも、休日を使って友人たちと山登りに行っていますし、山が近い場所で暮らせるのは嬉しいことですね。私は通勤に電車を使っていますが、新潟に帰ってきてからは満員電車もありませんしかなり楽になりました。ラッシュ時は高校生や通勤者で混んではいますが、東京にいた頃とは比較になりません。満員電車に気持ちを振り回されることが嫌だったので、その点については新潟に帰ってきてよかったなと思います。

今は実家から通勤をしていることもあり、Uターンしての苦労は思い当たりません。ただ新潟の場合、車社会なのが現状。私はお酒を飲むことが好きなので、仕事終わりなどに「今日、この後飲みに行かない?」と友人や同僚を気軽に誘えないのは少し寂しいですね。

移住を検討している方へのメッセージ

新潟は家族みんなで住みたくなる地域だと思います。山や海などの自然が近いので子どもたちの遊ぶ場所はいっぱいあります。また、古町などの昔からの街並みは、おじいちゃんやおばあちゃんとも共有したくなる雰囲気がありますよね。景色だけじゃなくて、食べ物もそう。笹団子やぽっぽ焼、のっぺい汁など、おばあちゃん世代も子どももみんな大好きな味です。振り返ってみると、自分の祖父母との思い出も自然で遊んだ記憶や一緒に食べた新潟ならではの食べ物などの思い出がたくさんあります。新潟に帰って来てからは祖母に頻繁に会えるようになったのも嬉しいです。

新潟と東京は意外と近いです。私も月に一度は東京に行って友人と遊んでいます。あまり“移住”と気負いすぎることなく、新潟での暮らしを考えてみてはいかがでしょう?

まずは新潟に遊びに来ることをおすすめします!

ご相談窓口・お問い合わせ