移住者名 | 大桃 理絵(おおもも りえ)さん |
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移住年月 | 2015年10月 |
年 代 | 30代~40代 |
家族構成 | 単身 |
職 業 | なり -nuttari NARI-(ゲストハウス)経営 |
高校卒業まで新潟市で過ごし、大学進学を機に東京に行きました。その後、卒業後も都内や横浜で働き、27歳の時に新潟市に一度戻ってきました。大学を出てからは、百貨店に勤務して子供服販売の仕事をしていたんですけど、目標としていた店長になることができ、自分の中でその仕事への大きな達成感が得られたんです。それでひとつの区切りだと思い、新潟市に戻りました。でも、大学から東京に出て生活していた当時の自分としては、正直なところ、新潟市での暮らしが物足りなく感じてしまいました。新潟市内で仕事には就いたものの、県外にひとり旅をする中で気持ちが変わり「もう一度、東京に行こう」と決めました。ところが、ちょうどその頃、知り合いを通じて「長野でゲストハウス(※素泊まりを基本とした簡易宿泊施設)を造るから手伝いに来ない?」という誘いがあったんです。それで長野県に移り住み、ゲストハウスの施工を手伝い、オープンしてからはそのままスタッフとして1年半ほど働きました。そして、32歳になった時、今度は自分のゲストハウスを造るために、新潟市に二度目のUターンで戻ってきました。
長野県の下諏訪町にあるマスヤゲストハウスの開業に携わったのが大きなきっかけでした。最初は1カ月だけ手伝って、その後東京に行こうと考えていました。でも、やり始めたら、完成まで見届けたくなって完成したら今度はそこで働きたくなってしまいました(笑)。
ゲストハウスができるまでは下諏訪町は若者もいないし、お店もないような、いわゆる“何もない”まちでした。それがゲストハウスができたことで多くの人が訪れるようになり、その中から移住する若者が出てきて、新しいお店ができたりして、町がどんどん元気になっていきました。その姿を目の当たりにして、「新潟市は何もないし、つまらない。東京に行こう」って、誰かのせいにしていたのは自分だと気づかされたんです。
たくさんの人に出会い、自分の感情とも向き合うことができたこの2年間は、人生の中で特に濃密なものでした。この貴重な経験を活かせば、自分にもこうした“場”を作ることができるし、作らなければならないと感じるようになりました。そして新潟でゲストハウスを作ることを決めました。
新潟市には飲食店でも物販店でも、個性的で店主の顔がちゃんと見える、地場のお店がたくさんあると思います。私のゲストハウスのすぐ近くにある沼垂テラス商店街もそうですけど、それぞれお店のカラーがしっかりあって、商品だけでなく店主に会いに行きたくなるような、そういうあったかい雰囲気のお店が市内のいろんな場所にあるって、それはとてもよい面だと思います。それに食べ物や街並みなど日々の暮らしの中によい物がたくさんありますよね。ご飯、お魚、野菜、お酒――どれをとっても、本当においしいものばかりで、県外から来た方は新潟の食に感動していますよ。まちなかでも空が広々しているところも気に入っています。信濃川を臨むやすらぎ堤を訪れた人は「新潟市はとても美しいところだね!」と言ってくれます。そんな言葉を聞くと、新潟市でゲストハウスを始めてよかったと思います。
苦労するところは、やっぱり冬の気候ですね。暗く、寒い日が続くのは嫌ですよね。でも、それも考え方ひとつだと思っています。暗い日は明るい色の服を着ればいいし、外が寒ければ、あったかい部屋でおいしいお酒を飲めばいい。雪かきだって、四季を感じられる要素ですから(笑)。
東京のど真ん中に住んでいる方から見たら、若い頃の私のように「何もないし、物足りないんじゃないか」と思うかもしれません。でもそこで、考え方を変えて、新潟市で自分が楽しいと思える場所を作ったり、楽しいと思えるような仕事を始めたり、楽しいと思う人を呼んで、楽しく過ごすというのも“アリ”だと思うんです。なぜなら、私自身がそうだったから。特に自分で起業したいと思っている方にとって、新潟市はおすすめです。市の起業に関する補助金制度はすごく充実していますし、地元の銀行も親身になって相談に乗ってくれたりとサポート体制が整っています。
新潟市は、いい意味でまだまだ未開拓の部分がたくさんあると思います。東京ではライバルがひしめくような仕事でも、新潟市ならまだ誰もやっていないこともある。だから、たくさんの可能性があるし、チャレンジできる場所だと思います。
ぜひ一度、わたしのゲストハウス、nuttari NARIに泊まりに来て、新潟市の空気を感じてください。最後は宣伝でした(笑)!
大桃さんが経営する「なり-nuttari NARI-」のホームページはコチラ