移住者インタビュー

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2017年9月27日

畠山さん「リモートワークで新潟市へのUターンを実現」

移住者名 畠山 創太(はたけやま そうた)さん
移住年月 2017年1月
移住スタイル Uターン
年代 10代~20代
家族構成 独身
職業 フラー株式会社 チーフエンジニア

移住までの経緯・概要

現在、私が働いているフラー株式会社の代表取締役CEOである渋谷修太と長岡高専時代に出会ったのが、そもそものはじまりでした。私も渋谷も新潟市出身なのですが、渋谷は私の先輩で、高専時代に寮生活を共にし、よく面倒を見てもらっていました。その後、私は大学編入を機に上京し、大学・大学院で学んでいく中で、ウェブ業界のエンジニアの仕事に興味を持ち、大学院卒業後に株式会社サイバーエージェントに就職しました。しばらくしたある時、高専の先輩だった渋谷と会う機会があり、彼が代表を務めるフラー株式会社を見学に行ったんです。そこで、色々と話をしているうちに、同郷である渋谷が立ち上げた会社で、何より自分の経験を活かした仕事ができると思い、転職を決意しました。そして2017年の1月にフラー株式会社が、新潟に拠点を構えることになり、私が新潟のエリアマネージャーに選ばれたのです。なので、会社の新潟進出を機に新潟市にUターンしました。

 

きっかけ

直接的には今の会社への転職が、新潟市へのUターンの大きなきっかけになったのは間違いないです。2015年に今の会社に入り、当時は千葉県の本社で働いていたんですけど、その頃に父親が亡くなったこともあり「新潟に帰りたい」という気持ちが強かったんです。新潟市の実家は母と祖母だけになってしまったので、寂しい思いをさせていると思ったし、一緒に過ごしたいと感じることもありました。また、自分と同じように進学で東京に出た友人の中にも、新潟にUターンした人もいて、いつか自分も新潟に戻って仕事ができたらいいなと思っていました。そんな矢先に、会社として新潟市に新拠点を作るという話が持ち上がりました。代表の渋谷も地元の新潟市でビジネス展開をしたいという思いがありましたし、僕自身の「帰りたい」という気持ちも察してくれたんじゃないかと思っています(笑)。それで、2017年1月の新潟オフィスのオープンとともに新潟市にUターンすることになりました。

よかったこと・苦労したこと

正直なところ、新潟に戻ってきてすべての面でよかったです!まずは母親と祖母と一緒に過ごす時間を持てるようになったことが何より嬉しいです。私は長岡高専に進学したこともあり、新潟市の実家で過ごしたのは中学生まででした。だから、10年ぶりくらいに実家で暮らせていることが幸せだと感じるし、実家でののんびりとした時間が最高に心地いいです。今は実家が好き過ぎて、一日中こもっている休日も多いです(笑)。そして、地元の友達とも頻繁に遊べるのもいいですね。なので、苦労やストレスに感じることはあまりないです。しいて挙げるとしたら、通勤で使っている越後線の電車が、時々雪や強風などの悪天候で止まったり、遅れたりすることくらい。でも、それは新潟だけのことではないし、むしろ愛くるしいと感じる時もあります(笑)。あと、これはエンジニアという職種ならではですが、都内では自分たちのようなエンジニアやプログラマーが集う勉強会が定期的に開催され、私も参加していたんですけど、そういう会合に気軽に足を運べなくなったのは少し残念な面ではありますね。

移住を検討している方へのメッセージ

私の働いている会社も含めて、ウェブ業界全体の傾向として、年々リモートワーク(遠隔で仕事を行なう勤務形態)ができるようになっているし、それを取り入れる会社も増えています。特に私のようなエンジニアだと働く場所はあまり関係なく、どこでも仕事ができる。実際私も新潟のオフィスに居ながら、本社のメンバーと一緒にチームを組んで仕事をしています。これからはウェブ業界だけでなく、ほかの業界でもそういった働き方が当たり前になってきて、働く場所は自由に選択できるようになるはずだから、私のように新潟が大好きな人は、そういう働き方ができる仕事を探して、新潟で暮らすのがよいと思います。そして、これから私のようにウェブ業界に入りたいと考えている学生さんにも、こういった働き方を知ってほしいし、リモートワークでどんどん新潟に戻ってきてほしいですね。

フラー株式会社についてはこちら  フラー株式会社

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