移住者インタビュー

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2020年11月30日

孫ターンで祖父母が営む酒屋を継承。「地方には応援してくれる雰囲気がある」

移住者名 寺田 和広(てらだ かずひろ)さん
移住年月 2017年12月
移住スタイル Uターン
年代 30代~40代
家族構成 妻、長男
職業 新潟 亀田 わたご酒店 店主

 

新潟へ移住するまでの経緯・概要

出身は新潟市中央区の関屋です。母の実家が亀田(江南区)で酒屋を営んでいて、祖父母とともに母もその仕事を手伝っていました。小学校に上がる前まではお店で過ごすことが多く、周りの人から「将来はお店を継ぐの?」と言われたり、お店屋さんごっこをして遊んだりしていたようです。とはいえ店を継ぐ気などまったくなく、新潟市の高校を卒業後、東京の大学の農学部に進学しました。就職活動をする際にもその気持ちは変わらず、漠然と「東京で活躍したい」と考えていました。そして、卒業後は都内の酒問屋に就職しました。大学時代にバックパッカーのような感じで旅をした中で、世界各国のローカルなエリアのコミュニティや文化とお酒の関係性の深さに興味を持ったことが酒業界への就職につながったのだと思います。会社では大手スーパーやドラッグストアを相手に大手メーカーの酒を販売していましたが、商品の魅力よりも物流を重視する仕事に対してなかなかおもしろさを感じられませんでした。そんな時に、新人研修中に担当した東京の酒屋の若旦那の誘いで妙高市の酒蔵に行ったことで地酒に興味を持ち、約3年勤めた会社を辞めて、その酒屋で働かせてもらうことにしました。その仕事を通して、地酒の魅力に触れるうちに祖父母の酒屋を継ぎたいと思うようになり、2年半の修業を経て、2017年の年末にUターンしました。

 

新潟へ移住したきっかけ

会社を辞めた段階では「地酒業界で働きたい」という思いが強く、店を継ぐつもりはまだありませんでした。東京の酒屋で仕事をする中で、店を継ぐことを徐々に意識していったという感じでした。それで、いざ「継ぎたい」と話したら、祖父母も両親も大反対でした(笑)。すでにその頃は、細々と店を続けているような状態だったのです。ですが、何度も話をする中で「ちゃんとお酒を勉強するならいい」と言ってもらうことができ、そこからUターンをする前提で話を進めていきました。厳密に言うと、私の場合はいわゆる“孫ターン”です。しかも母方の実家になるわけで、“家業を継ぐ”ということとは少し違うのですが、実家ではないものの、店は幼少期に時間を過ごすことが長かった場所であり「自分が戻れる場所がある」という意識は潜在的にあったように思います。

 

新潟へ移住してよかったこと・苦労したこと

よかったことしかないくらい、よかったです。まず私の場合は自営業なので、家族と一緒に仕事ができること。地元の人たちと家族ぐるみで付き合えるのがすごく楽しいです。それに電車通勤をしなくていいのも大きいです。都内でサラリーマンをしていた頃は片道1時間30分かけて会社まで通っていましたが、今は店から自宅まで車で15分くらいです。車だと自由に移動ができますし、少し遠くまで走るだけで小旅行気分も味わえます。また、新潟市は自然もまちも近くてバランスがいいと感じています。そして、商売するにも、いい意味で地方のほうが目立てると思います。東京ではワン・オブ・ゼムでも、新潟ではオンリーワンになれる可能性がある。地方には様々な課題があるので、それに対して自分の持つ技術を正しく活かして取り組むことで、イノベーションを起こすことができる可能性があると思います。また、地方には応援してくれる雰囲気があると感じています。苦労したことは、コミュニティが小さいことです。東京だと人が多すぎて他人の目があまり気にならないですが、新潟に帰ってくると知っている人も多いので、自然と背筋が伸びます(笑)。

 

新潟へ移住を検討している方へのメッセージ

私は新潟で生まれ育っているので、新潟の水が合うのは当然なのですが、Uターンしてみて、新潟は本当にいいところだと改めて実感しています。また仕事の面でも、新潟は挑戦しやすい土地だと思います。地域とのつながりや同じ業界のつながりなどがシンプルでわかりやすいので、既存のコミュニティに入っていくことで様々な人とのつながりをつくることができます。そこからつながる人、共感してくれる人ができて、どんどんとその輪が広がっていくので、何かひっかかるポイントがあるならばどんどんそのコミュニティに足を運んだほうがいいと思います。私自身も自分のビジネススキルよりも、周りの人に助けられている部分のほうが大きいと思っています。

 

 

 

 

 

 

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