移住までの経緯・概要
宇都宮市で生まれ、東京で小学校時代を送りました。父の転勤に伴い中学からは再び宇都宮へ引っ越し、大学2年生まで過ごしました。「生物がどうして動くのか」ということが不思議で、その興味から宇都宮大学を中退し、東京理科大学の応用生物科学科に再入学しました。
心機一転、再入学して生物についてしっかり勉強する・・・はずでしたが、不幸なこと(?)に歓迎会でジャズ研究会に出会ってしまい、結果、通常より少し長い大学生活をおくりました。
その後、就職活動をしていた時に、農研機構でバイオマス関連のプラントを見て産業廃棄物処理業に興味を持ちました。声を掛けて頂いた企業の中で一番おもしろそうな会社が新潟の会社であったことから、2011年に就職を機に新潟に移り住むことになりました。
きっかけ
開発希望で入った会社でしたが、技術部がまだ無かったこともあり、営業担当として社会人のキャリアをスタートすることになりました。仕事の一環で顧客の広告を作っていましたが、お客様の売り上げに貢献しながら自社の売り上げも増やすことができるようになる中、次第に広告に強い興味を持つようになりました。そんな時、親しくしていた顧客に「独立して広告作ればいいじゃん♪」と言っていただいのがきっかけとなり、2013年末に退社し、独立しました。会社員時代の顧客が引き続き現在のお客様になっていただいていること、生活するのに不便じゃないこと、人との距離がちょうど良いことから気に入ったこの新潟に住み続けることにしました。
よかったこと・苦労したこと
「新潟市は全然雪降らないよ」という言葉を信じた2011年。その冬は珍しく一晩で50cm以上も雪が積もり、翌日は会社に遅刻してしまいました(笑)。関東以外で生活したことがなかった私にとって、雪のある生活は知らないことばかりでした。スコップを積まずに車でスリップして地元の方達に助けてもらったり、市外へ営業に行った時に普通の革靴を履いていき(そこでは2m位積もっていました・・・)職人さんに心配されたり。一冬過ごして、「新潟市は(長岡とか十日町に比べれば)全然降らないよ」という意味だと理解しました。
新潟に来て良かったと最も強く感じるのは、多くの方々と出会い、本当に良い人たちに囲まれていると実感する時です。「日本で一番社長が多い」と言われるくらい新潟には中小企業が多いのですが、規模の大小はあれど皆、本当に一生懸命です。そんな企業のビジネスに、広告を通して関わる。自分の作った広告で商品が売れなかったら、その会社は無くなってしまうかもしれないと怖くなる時もあります。それでも商品の良さを知った方から喜んでもらったという顧客の声を聞くと、本当に新潟で仕事をしていて良かったと感じます。人との距離がちょうど良い新潟だからこそ、今の自分の働き方ができているんだなと思っています。
移住を検討している方へのメッセージ
苦労したことが、実はもう一つありました。それは「友達ができなかった」こと。会社以外の人間関係がなかなかできず、週末にすることが見つからない。特に最初の1年はとても寂しかったのを覚えています(お祭りに一人で行くのがあんなに辛いとは思いませんでした・・・)。
今、私は「Sea Point Niigata」というコワーキングスペースもある海の家で仕事をしていますが、ここには地元の方はもちろん、移住した方やUターンしてきた方も多く訪れます。そこに自然と集まる仲間達と起ち上げたのが市民団体「ミチシルベ(新潟市移住者応援有志の会)」です。新潟に移住して辛かったことや、良かったことをみんなでまとめて、これから移住する方に伝えられるよう準備をしています。また、新潟市との共催で月に1回程度交流会も行っています。移住者だけでなく地元の方も参加するこの会では、住みやすい場所や病院などの情報も少しずつ共有していく予定です。
これから移住を検討している方はもちろん、既に移住した方、地元の方もぜひ遊びに来てください。一緒に新潟市をもっと楽しんでいけたらいいと思っています!
栗原さんが代表を務める広告制作・デザイン会社 U-Designのホームページはコチラです。
http://ipo-udesign.jp
【新潟市HAPPYターンサポーター認定式】
“新潟市HAPPYターンサポーター”については新潟市ホームページをご覧ください。
https://www.city.niigata.lg.jp/shisei/seisaku/kurashisouzou/happyturnsupporter.html
(2016年7月)