移住までの経緯・概要
[翠さん]私は東京都、主人は兵庫県が生まれ故郷です。私は都内で世界の子どもの教育支援を行うNGO(国際協力系NPO法人)に勤めていたのですが、2015年にミャンマーでの教育支援プロジェクトの駐在員としてミャンマー南東部のカレン州に渡りました。そこでは学校建設や校舎の維持管理ワークショップの開催を中心に、子どもたちの教育環境を整える事業を担当していました。
[寛之さん]私は都内で数年間会社員として働いた後に大学院に行き、卒業後はNGOに勤めました。はじめは東日本大震災後の宮城県気仙沼市で、復興支援に携わっていました。その後、次に働く場所として選んだのがミャンマーでした。私は2014年に駐在員としてカレン州に赴任し、保健に関するプロジェクトに携わっていました。妻とは違う組織に所属していたのですが、ふたりは同じ町に駐在していました。その後、私たちは互いに所属先を変えながらも、ともに国際協力の仕事を続けてきました。ふたりとも日本とミャンマーを行ったり来たりするような形で数年間を過ごしたなか、交際を始めました。そして、2018年の秋に結婚し、そのタイミングで暮らしの拠点を新潟市に移したのです。
きっかけ
[寛之さん]ミャンマーに駐在しながら遠距離で妻と交際するなか、2018年に現地での仕事が終了しました。初めての海外生活を送ったミャンマーで、現地の人たちの優しさ、あたたかさに触れたことで、その後もミャンマーに関わる仕事を続けたいと思いました。ミャンマー現地で新しい仕事を探すという選択肢もありましたが、妻との結婚も決めていましたし、生活の拠点を日本にしたいという気持ちがありました。「日本でミャンマーに関わる仕事ができないか?」と思い探していたところ、新潟市に本部を持つNPO法人アジアクラフトリンクを知ったのです。主な事業内容として、木工や織物などミャンマーならではの良質な素材を活かしたものづくりに日本の技術やアイデアを加えることで、世界に通用する名産品を生み出しています。そこで働きたいと思ったのが新潟との縁であり、新潟市で暮らすきっかけになりました。アジアクラフトリンクへの転職も決まり、私は妻よりひと足先に2018年の4月から新潟市での生活をスタートさせました。
[翠さん]私はカレン州から帰国後に東京の財団法人で働いていましたが、その後に再びNGOの駐在員として、今度はミャンマー西部のラカイン州に赴任しました。そこでの仕事を2018年の9月に終えて帰国し、主人から半年遅れの2018年の10月に新潟市へ引っ越し、入籍をしました。これからは経験を活かして、国際協力のお仕事や進路などについて新潟でもお話しさせていただける機会を探したり、ミャンマーの雑貨品を販売したり、ミャンマーでの新しい支援事業を現地の友人と立ち上げたいと考えています。
[寛之さん]ミャンマーもそうでしたけど、自分の人生で新潟に来て暮らすようになるとは思っていなかったです(笑)。事前に移住に向けての綿密な準備をしていたわけでもないですし、「結婚をするから一度日本に戻ろう」とふたりで話し、仕事を探した時に働きたい場所がたまたま新潟市にあった――それがきっかけだったのです。
よかったこと・苦労したこと
[翠さん]住み始める前は、私も主人も新潟という場所にまったく縁がなかったので、正直なところお米と日本酒のイメージしかありませんでした。ただ、新潟に行ったことのある知り合いからは「食べ物がおいしくて、人がやさしい」ということを聞いていましたし、それは実際に住んでみて本当だと感じているところです。私は特に野菜のおいしさに感動しました。大きなスーパーにも県内産の野菜がたくさん売っていますよね。東京都出身の私にとってはそれが当たり前なのがすごいことですし、季節の野菜を買って食べると本当においしい。新潟市に来て、それがとても豊かなことだと気づかせてもらいましたし、自然と“食育”についても考えるようになりました。それは新潟に住んでよかったことです。また、結婚してふたりで初めて生活する場所としても、新潟市はよかったです。東京と比べてふたりの時間を持ちやすいと感じています。逆に東京に用があったり恋しくなった時には、アクセス面では高速バスや新幹線などが整っていて、距離も遠すぎずにすごく便利です。
[寛之さん]小さなことですが、以前住んでいた宮城県と比べて、新潟は雪が多いと聞いていましたが市内はそれほどでもなく、水道が凍らず、朝起きた時に前夜に水抜きをしなかったことを後悔しなくていいのは暮らしやすいなと思いました(笑)。普段の生活では、東京などの首都圏に比べると、お店の数や路線バス・電車の本数が少ないことで不便さを感じる場面もありますが、逆にとらえれば自分の意思で能動的に暮らせる場所だと感じています。
移住を検討している方へのメッセージ
[翠さん]私たちふたりの経歴や国際協力という仕事による部分も大きいと思うのですが“移動”に対するフットワークの軽さはあるのかも知れません。移住したからといって、移動が制限されるわけではないですよね。移住=永住ではないし、新潟市に住んでいても、時々東京に行きますし、もしかしたら今後また海外に行くことがあるかも知れません。そういう考え方をすれば、暮らしの拠点を移すという意味で、あまり重くとらえることなく移住を考えられる気がします。
[寛之さん]都内で会社員をしていた頃は、そこにある便利さに生かされていたように思うんです。でも、新潟では毎日私たちふたりがここで暮らしていることそのものが、地域のためになっていると感じられます。妻の言った地場野菜にしても、私たちは消費する立場で、おいしくて安全な野菜を手に入れることができます。それによって野菜を生産する方や流通・販売をする方たちの仕事や暮らしにも貢献できる。野菜だけでなく、いろんな分野で新潟を元気にしたいという思いで、お店を営んでいる方もたくさんおられますし、自分たちがそういう地場のお店に足を運ぶことで地域を応援できる。自分たちが暮らすことが地域のパワーになる――それが新潟に移住する大きな魅力と感じています。
NPO法人アジアクラフトリンク
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