移住者インタビュー

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2018年5月14日

齊藤さん「どこでどう生きるかは、自分たちで決められる」

移住者名 齊藤 知恵子(さいとう ちえこ)さん
移住年月 2012年7月
移住スタイル Iターン
年代 30代~40代
家族構成 夫、長女、長男
職業 保育士 

移住までの経緯・概要

元々、私は東京都出身で、夫は千葉県出身でした。結婚後、ともに都内で仕事をしていたのですが、夫が仕事で多忙を極めていたこともあって、転職することを決意したんです。そして、新たに働きたい会社が見つかり、無事に内定をいただくことができ、勤務地の希望を3つ出すことができたなかで、夫の希望する職種があったのが新潟でした。新潟を第1希望にして、第2希望には、ふたりとも行ったことがない場所にしようということで長野県。第3希望は首都圏にしたのです。結果、夫の希望が通り、新潟市での勤務が決まりました。

二人ともスキー&スノーボードが趣味だったので、都内で暮らしていた頃からウインターシーズンには、よく新潟県の苗場を訪れていました。新潟=苗場の山というイメージが強かったので、新潟市に移り住んだ時は、かなり都会的な印象を受けました。最初は夫の職場のある新潟市東区に住んでいました。その後、長女を「Akiha森のようちえん」に入園させたことがきっかけとなり、現在は秋葉区で暮らしています。

きっかけ

新潟市への移住は、夫の転職が大きなきっかけではありました。ですが、市内の東区から秋葉区に引っ越し、この場所に自分たちがこれからずっと暮らしていく家を建てようと思えたのは、長女が「Akiha森のようちえん」に入園して、毎日幼稚園に行くのが楽しみで仕方ない姿を目の当たりにしたからでした。子供たちを秋葉区の里山・秋葉山の自然のなかで育てるというコンセプトに私たち夫婦は共感しましたし、昨年生まれた長男も、ぜひ「Akiha森のようちえん」に通わせたいと思ったので、秋葉区に家を建てることを決めたのです。子育て世代の私たちにとっては、新潟市内の中でも街と自然が一体となっている秋葉区は魅力的に映りましたし、自然豊かな環境の中で子供たちの成長を見守りたいという気持ちが強かったと思います。

よかったこと・苦労したこと

秋葉区で暮らすようになって、野菜を「ベジらンドにいつ」や「花夢里にいつ」などの農産物直売所で買うようになりました。そこで気づいたのは、東京のスーパーならばどんな季節の野菜も一年中並んでいますが、秋葉区の直売所には、その季節ごとの旬の野菜しか並ばないということでした。冬には冬の野菜、夏になれば夏の野菜がずらりと並び、どれもおいしそうで、実際においしい。「今日もまたナスか」と思いながらも(笑)、その季節に地元で採れた野菜を食べられるというのは、とても豊かなことだなと思いました。また、近所の方から「たくさん採れたから」と野菜をいただくこともあり、新潟の人のあたたかさを感じることもあります。

子供たちを見ていても、夏は早起きするし、冬になると少し遅くまでゆっくり眠っているし、四季の移り変わりと呼応するように自然体で成長しているように感じます。親としては、それが何よりよかったことと言えます。

苦労したことはほとんどありませんが、東京育ちだったので、移住した当時は車の運転免許を持っていませんでした。今はもう慣れましたけれど、免許を取ったばかりの頃は少し運転に苦労しました。

移住を検討している方へのメッセージ

東京という場所は電車もたくさん走っているし、お店もたくさんある。いろんな機能が無数にあるけれど、ひとりの人間が使うのはごく一部ですよね。そう考えると、日々の生活にはお気に入りのお店や遊びにいく場所がいくつかあればいいんです。だから、新潟での暮らしが不便だとも思いません。

移住して思ったのは、どの場所で暮らして、どんな生き方をするかは、自分たちで決められるということです。東京で生まれ育ってきた私にとって、東京以外の土地で生活するなんて、考えたこともなかったわけです。それが、主人の転職をきっかけに新潟で暮らすようになり、その中で私たちが秋葉区という場所を選択したのは、人生の中でのひとつの重要なチョイスだったと思っています。

以前は、東京という資本主義のど真ん中で、毎日何かに追われるように次々にやってくる電車に我先にと乗り込み、先を急いで暮らしていたし、お金を貯めて、駅に近いところのマンションを買うことが豊かな暮らしだと思っていました。けれど、新潟に住んでいる今、本当の意味での豊かさが実感できたし、私たちのような選択肢もあるということを、都内で暮らす人たちに知ってほしいです。

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