移住者インタビュー

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2018年12月10日

白岩さん「出会いは偶然。住み続けているのはとても自然」

移住者名 白岩 ましろ(しらいわ ましろ)さん
移住年月 2012年2月
移住スタイル Iターン
年代 30代~40代
家族構成
職業 フリーアナウンサー

移住までの経緯・概要

私は京都生まれで、大阪府立大学を卒業するまで京都で育ちました。大学3年の春になり就職を考えた時に、元々ラジオが大好きで音楽を聴くのが好きだった私は、ラジオパーソナリティになりたいと思ったのです。それで、アナウンススクールに通ったりしながら、就職活動を本格化させていきました。その中でたまたま新潟のラジオ局から内定をいただいて、入社のために2012年の春に新潟市に移り住んだのです。株式会社エフエムラジオ新潟に新卒で入社をして、そこからパーソナリティとしてのキャリアをスタートさせました。そして、2015年からはフリーとなり、ラジオパーソナリティやテレビレポーター、イベントの司会業務などもやっています。プライベートでは、2017年に新潟の方と結婚をしました。なので、就職でたまたま縁があった新潟で、人生を共に歩むパートナーとの縁もいただいたのです。

きっかけ

私が就職活動をした年が、ちょうど東日本大震災の起きた2011年だったことも影響して、メディア業界にも新卒採用の取り止めなどがあり、全国的に見てもラジオ局の採用数自体が少なかったのです。そんな中、新潟と宮崎では募集があったので、それ以外のテレビ局なども含めて就職活動をして採用試験を受けました。最終的に自分が一番やりたかったラジオ局の仕事で、最初に内定をいただいた株式会社エフエムラジオ新潟に入社することに決め、新潟に来ることになったのです。なので、新潟に来るきっかけは本当に偶然でした。ですが、2017年に主人と結婚をして今思うのは、新潟だからこそ「ここで結婚して、ずっと暮らしたい」と思えたし、ほかの場所だったらそう思えなかったような気がします。それくらい生活環境という面で、新潟市はよい場所だと感じています。

よかったこと・苦労したこと

2012年4月の入社に備え、2月から新潟で暮らし始めたのですが、その年はたまたま新潟市に大雪が降った年でした。地元の京都はほとんど雪が降らないので、道路脇に高く積まれた雪を目の当たりにした時は衝撃的でした。積まれた雪のせいで、バス停にいたのですが見逃され、乗れなかった記憶があります(笑)。ですが今になると、新潟市の降雪量は決して多くないですし、私が来た年がたまたま大雪だったというのが分かります。最初はそのように苦労した雪でしたが、ラジオの仕事がきっかけでスノーボードに思い切りハマりました。始めたばかりの頃は仕事も含め、ひと冬に30日くらい滑りに行っていました。新潟に来たばかりの時は苦労した雪ですが、今は良かったことに変化しました。

また、良かったことで何より大きいのはごはんのおいしさです。新潟に住み始めた頃、ごはんがおいしすぎて3キロくらい太ったこともありました(笑)。お米はもちろんですけど、お魚もお肉も果物もおいしい。「新潟に胃袋を掴まれた」というのも正直な感想です。今は中央区で暮らしているのですが、日々の生活にかかわるスーパーや商業施設も近いし、利便性がとてもよい場所だと感じています。

移住を検討している方へのメッセージ

私の場合「よし、新潟に住む!」と意気込んで来たわけでなく、たまたまやりたい仕事がそこにあって、それがきっかけで移り住んで、その中で主人と出会い結婚し、同じ場所で新たな生活をスタートさせたわけです。新潟との出会いはすごく偶然で、そこから今も新潟に住み続けているのは、とても自然な流れだと思っています。なので、私はたまたま仕事がきっかけでしたけど、食べ物でも趣味でも人でも、何か気になることがあれば、それはきっと新潟との縁なのだと思います。

新潟市で暮らして7年近くが経とうとしていますけど、実体験として京都にいた時と生活や遊びのスタイルが変わりました。例えば休日の過ごし方も、京都にいた頃や東京だったらショッピングや映画など、街中で過ごすのが多いと思います。でも、新潟にいると当たり前のように自然と遊ぶことが多くなるんです。海、キャンプ、冬はスノーボードなど大袈裟ではなく、人間らしく暮らせたり遊んだりできる場所です。そういう生活に興味があって新潟で暮らしたいと思っている方は、時間を作って1週間くらい、旅行とは違った生活者の目線で滞在してみると、よりこの街の良さが見えてくると思います。

白岩ましろオフィシャルブログ

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