移住までの経緯・概要
高校卒業まで新潟市で過ごし、大学進学を機に東京に行きました。卒業後、新潟に戻りたいという気持ちはありましたが、ちょうどリーマンショックがあり、新潟での就職は難しく、東京で就職したんです。それから4年ほど働いた後、今勤めている会社への転職を機に新潟市にUターンで戻ってきました。学生生活から数えると8年ほど東京で暮らしていたことになります。戻った直後は、まちの様子が大きく変わっていたことに驚きました。自分が新潟を離れていた間に市町村合併があり、新潟市は政令指定都市になっていました。なので、住所に“区”が付いていたのには戸惑いましたね。駅前にバスのロータリーができていたり、大型家電量販店や商業施設が出来ていたりして“浦島太郎状態”でした(笑)。
きっかけ
東京で就職をして、最初の頃はそれなりに楽しい生活を送っていました。大都会なので、平日でも週末でも昼夜を問わず遊ぶところはたくさんありました。友達と飲みに行ったり、買い物に出かけたりして過ごすことが多かったですね。ただ、次第にそんな東京での生活に飽きてきたところもあったんです。確かに東京には遊ぶところはたくさんあるけれど、その分お金もかかります。社会人になって数年の身にとっては、案外、行ける場所や出来る事って限られているんです。また、私は3人兄弟なのですが、当時は兄弟全員が東京に出て暮らしていました。ある年の年末、実家に家族が集まった時、確か祖母だったと思うのですが「ひとりくらい戻ってきてくれてもいいのにね」と言ったのです。ふとこぼれたこの言葉が私の頭の中に残りました。そんな事があったその頃、新潟市で小学校の同窓会があり、そこで久しぶりに再会した同級生の女性とお付き合いすることになったんです。
そんな風にいくつかの要素が重なった上に、タイミングよく今の会社への転職が決まりました。家族の想い、新潟に彼女ができたこと、そして仕事。すべてがつながって新潟に戻ってきました。
よかったこと・苦労したこと
改めて感じたのは自然環境の豊かさです。海も川も山もあり、空気がきれいで心が落ち着きます。こちらへ戻ってからキャンプや釣りといった趣味もできました。アウトドアを近場で楽しめるのがいいですよね。初心者向けと聞いて最初にキス釣りに挑戦した時は面白いくらい釣れて。自分でさばいて天ぷらにして食べたんですけど、本当においしかったー!
それと新潟では人の優しさやあたたかさを感じます。東京だと街を歩く人たちが、とにかくみんな急いでいるように見えたし、どこか冷たい感じがしたけれど、こちらでは道でちょっと困っていたら「どうしました?」と声をかけてくれる人がいる。これって東京ではないことだなと思ったし、優しい人が多いという印象を強く持ちました。こういう“当たり前”の暮らしやすさって、高校生くらいまでは気付かなかったけど、一度東京に出て戻ってきたからこそわかる事なのかなと今では思っています。
苦労した点は、帰ってきたばかりの頃、休日の過ごし方がわからなくて戸惑ったことですかね。でも今では、気候の良い時はアウトドアを楽しんだり、天気が悪い時は食べ歩きをしたりと、それぞれの時期に合わせた楽しみ方をしています。
移住を検討している方へのメッセージ
情報に溢れた東京と違い、新潟では自ら積極的に行動することが必要になると思います。そうすればさまざまな情報や人に出会い、視野が広がります。それに、自分から動けば周りがきっと優しく迎え入れてくれるはずです。これが新潟の暮らしを楽しむ秘訣だと思います。ただ、一人で行動するのは初めは勇気がいりますよね?そこでオススメしたいのが新潟市へ移住した人達が集まる「HAPPYターン交流会」です。私自身、この会への参加をきっかけに新たな出会いやつながりが生まれ、アクティブに行動するようになりました。なので、移住したばかりの方は交流会に参加することから始めるのが良いのではないでしょうか。移住者ならではの話題を共有することができて、すぐに打ち解けることができます。
私はそのつながりから、「Code for Niigata」という取組みに参加しています。これは行政のオープンデータを使用し、新潟をもっと楽しく、住みやすいまちにするためのアプリを作ったりウェブサービスを提供したりするものです。この活動を通じて新潟市を盛り上げ、移住した方が快適に暮らせるようにサポートをしたいと考えているので、ぜひ活用してください!
Code for Niigata ホームページはこちら http://www.codeforniigata.org/
HAPPYターン交流会についてはこちら HAPPYターン交流会レポート