移住までの経緯・概要
高校を卒業する18歳まで、生まれ故郷の長岡市で過ごしました。その後、専門学校への進学を機に上京し、2年間の学生生活を経て、そのまま東京で就職しました。鉄道会社に勤務して、東京駅や品川駅で駅員として働いていました。切符販売や乗り換え案内などの業務が主でしたが、駅を利用されるお客様が快適に移動できるよう心掛けて仕事をしていました。駅という場所柄、全国各地や世界から多くの方が行き交う場所でしたし、業務の中で「新潟から来たんだけど、〇〇に行くには?」など、地元である新潟の方と触れ合う機会も多くありました。そんな東京での生活の中で、学生時代にはまったく思っていなかったのですが、いつしか「いずれは新潟に帰りたい」という気持ちが少しずつ自分の中に芽生えていきました。それで、ちょうど就職をして10年、自分自身が30歳という区切りを迎えたタイミングで、東京を離れて地元である新潟に戻ることにしたのです。ですが、自分がやりたかった旅行業の仕事の関係もあり、生まれ故郷の長岡市ではなく、Jターンという形で新潟市に移住しました。
きっかけ
都内で暮らしながら日々働く中で、「いつか自分も地元である新潟に帰りたい」という気持ちが自然と生まれてきました。特に私の場合、毎日仕事で駅にいましたから、新潟行きの切符を買ったお客様を見て「これから新潟かな」と思ったり、乗り換えなどで話しかけられたお客様から新潟弁や長岡弁などの方言が聞けたりすると、ふと新潟を思い出し、郷愁にかられる場面もありました。そういう意味では、故郷のことを思い出しやすい仕事環境だったのかも知れません(笑)。また、私の場合、通勤時に満員電車に揺られて過ごし、職場に着いても、また膨大な人たちが行き交う場所で過ごすのが日常だったので、それに疲れたというのも本音なのです。「このままでいいのかな?」と思う瞬間がありましたし、やっぱり新潟がよかった。自分には都会は向いていなかったと思います。
仕事はとても順調でしたけど、どこかで区切りをつけ新潟に戻りたくなったんです。そう考えた時、10年間一つの仕事をやり切ったこと。そして、自分が30歳になったこと。その2つを踏まえて今がベストだと判断しました。
よかったこと・苦労したこと
毎日の通勤ラッシュから解放されたことはよかったです。都内では電車を使って通勤に1時間くらいかけていたので、ずいぶん楽になりました。今は出勤時のバスでも座れますし、時間もわずか10分くらいです。また、両親が住む長岡の実家が近くなったのもよかったことです。新潟駅から新幹線なら20分程度で実家に帰ることができますし、とても便利です。
あとは何より、東京にはない、のんびりとした空気を感じられるのがよかったことと言えます。まだ新潟に戻って間もないので、特にそう感じる部分もあると思うんですけど、本当の気持ちです。東京では当たり前のように、多くの人が動いているエスカレーターの上をさらに急いで歩くじゃないですか。でも、新潟ではなかなか見かけませんよね。ゆったりとした街の空気に、東京にはない安心感を覚えます。
反面、苦労したところはクルマの運転です。18歳で運転免許を取得してはいたのですが、ずっと東京で生活していたのでペーパードライバーだったのです。こちらでは仕事でクルマを運転する機会もあるので、運転に慣れるのが大変です。今は社用車で同僚や先輩に助手席に乗ってもらい、運転がうまくなるように練習をしています。
移住を検討している方へのメッセージ
新潟市は、私のように東京や他地域から移住してきた人たちをあたたかく迎えてくれる体制が整っていると感じます。知り合いや友達がいない状態で、新潟市で暮らし始めたわけですけど、わずか3、4カ月で一気に仲間が増えました。知人の紹介で「新潟市移住者応援有志の会 ミチシルベ」のメンバーに誘って頂き、移住者としてサポートされる側としてはもちろん、新たな移住者をサポートする立場でも活動しています。移住者同士の親睦を深めるための「HAPPYターン交流会」という会があるのですが、先日は仲間入りして間もないのに、司会を任されました(笑)。
このように気軽に参加できる移住者のためのイベントがあったり、親身になって対応してくれる行政の方がいたりと、「移住をした後」までをしっかりとサポートしてくれるのが新潟市の素晴らしいところだと思います。また、新潟市には楽しいイベントが多いですよね。私も参加しましたが「クラフトビールの陣」や、やすらぎ堤の「ミズべリング・プロジェクト」など、休日を楽しく過ごせるイベントが多いのもおすすめできるポイントです。
これからは旅行業という自分の仕事をうまく活かしながら、東京にいる人たちに新潟の良さをアピールし、首都圏と新潟をつないで活性化に貢献したいです。