移住者インタビュー

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2018年8月13日

横田さん「移住≠永住。ライトに考えてもいいのでは?」

移住者名 横田 孝優(よこた たかまさ)さん
移住年月 2010年4月
移住スタイル Jターン
年代 30代~40代
家族構成 妻、長男、次男、長女
職業 コピーライター(ザツダン代表)

 

 

  移住までの経緯・概要

母親の実家がある高知県で生まれましたが、すぐに東京で暮らし始め、小学校1年生までを都内で過ごしました。その後、両親の離婚もあり、高知県に引っ越して小学校5年生まで過ごし、母親の再婚を機に兵庫県へ移住しました。それから大学を卒業するまでの間を兵庫で過ごし、卒業後は大阪の広告制作会社に就職しました。数年間働いた後、今度は転職をして東京で生活するようになりました。その後に、縁あって8年前に新潟に来たんです。なので、自分のなかでも、どこか根無し草の感覚があるんです。これまでの人生の中で、小さい頃は転校も多かったですし、いろんな土地で過ごしてきたので、もしかすると「ここが私の故郷」という感覚が、ほかの方よりも薄いのかも知れません。

きっかけ

大阪の広告制作プロダクションで社会人としてのキャリアをスタートさせ、数年後にキャリアアップを目指して、東京の会社に転職しました。3年ほど経った頃に、新潟の企業から求人があるのを知り、自分としても非常に興味のある会社だったので、その会社に行くことを考えました。また、同じ時期に都内で一緒に暮らしていた鹿児島県出身の妻と結婚したのですが、結婚して間もないタイミングだったにも関わらず、新潟に行きたいという私の気持ちに賛同してくれたので、ふたりで新潟市に移住することを決めました。引っ越しの前には、就職先の計らいで旅行がてらの見学に妻と一緒に来たのですが、確か2月頃だったので新潟市内にも雪があったことを覚えています。私たちふたりとも、新潟が人生最北端の居住地ですし(笑)、当時は「やっぱり、寒いね」と話したことを今も覚えています。

 

よかったこと・苦労したこと

移住して3年が経った2013年には、新潟に来るきっかけとなった会社を退職し、コピーライターとして独立しました。同じ年に長男が生まれ、2016年には双子の次男と長女が生まれました。新潟での生活の中でよかったと感じるのは、私の周りに他県から移住してきた方が多かったことです。特に仕事で出会う人のなかに、新潟出身だけど、一度県外に出てUターンをした人や、進学で新潟に来てそのまま就職をした人など、新潟以外の土地での生活を経験している方が多かったんです。新潟以外の土地でそれぞれ違った生き方をしてきた人と出会えたことで、いろんな価値観を知ることができました。そういう人たちとの出会いがあったから、楽しく暮らせているのだと思います。

また、コピーライターという仕事の面では、新潟県の広さはよかったことと言えます。新潟ではまだ私のような仕事はプレイヤーの数自体が少ないこともあり、新潟市にいながら県内のいろんな場所の、いろんな業種の方からお仕事の依頼をいただくことが多くなっています。新潟県は各地域で土地のカラーがあり、その多様性が自分の強みになっていますし、視野を広げさせてもらっていると感じています。

移住を検討している方へのメッセージ

移住と永住はまったく違うことなので、検討されている方は分けていいと思います。「新潟でこういう仕事をして、こんな暮らしをして、いずれは家を建てて」と、ガチガチにイメージや計画をして移住してしまうと、「違うな」となった時のダメージが大きくなります。だから、いい意味で“移住”はライトに考えていいと思いますし、うまくいかなかった時のことも踏まえて、元の場所に戻ることやまた別の移住先を視野に入れておくことも大切です。

また、私も妻も県外出身者なので新潟にはまるで身寄りがいません。妻も仕事をしていますし、正直なところ小学校に上がる前の子供たち3人を育てていくのは、かなり大変な場面があります。けれど、私たちには、いざとなったら「少し子供たちの面倒を見ていてください」と頼ることのできる人がいます。家族や親せきでもないのに、そうやって接してくれる方がいるのは本当に心強いし、ありがたいことです。これから、私たちと同じような環境のなか新潟で生活する方もいると思いますが、そんな間柄の人ができると安心感が生まれますし、移住した先で、いい意味でわがままを言えるような人間関係を作っていくことも大切だと思います。

ザツダンのウェブサイト

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